あなたの人生は誰のためにあるのですか?って突然きかれても困りますよね。
恋人のため、家族のため、ともだちのため、仕事先のためなど色々あるとは思いますが、今回はあなたは誰のために生きているのかをかんがえ、「ひとりごと」としてつぶやかせていただきます。
あなた自身もこのことについて、じっくりとかんがえてみてください。では、おつきあいのほど、どうぞよろしくお願いいたします(^^)
あなたは誰のために生きているのだろうか?
先日親友から、悩みをうちあけられました。
「会社をやめたいんだけど、いざやめるとなると、いろいろな恐ろしい感情におそわれる。」
というものです。
ある外資系企業で、そこそこの管理職につく「エライさん」の友人です。実際やめるとなると、
「営業職なので取引先にも迷惑をかけるだろうし、同僚・部下にも迷惑がかかる・・・」
というのが悩みの本編でした。
「せっかく入れた優良企業なのに」
と家族もなげくだろうとも言っていました。
わたしは、結局自分自身で解決するべき問題だとかんがえながらも、
「会社をやめるときに、すべてが円満にはこぶということはありえない」
とつたえ、それより
「本当に自分は、会社をやめたいのか、自問自答するように」
と答えました。
そして、やめたい理由がなんであれまわりの反対や悪口をうけてでも、やめたい気持ちのほうが強いのなら、やめるべきだ。自分のきもちに正直になれとアドバイスしました。
なぜなら、結論めいたお話しになりますが、自分の人生を生きられるのは自分しかいないからです。スペアはありません。
・・・あなたの人生も、生きられるのはあなた以外に誰ひとりいないのです。あなたの人生をあゆむのは、あなた自身です。
百花春至って誰が為にか開く
「百花春至って誰が為にか開く」禅の名句にこのようなものがあります。
「花たちはいったい誰のために生きているのか?」
という意味です。
花は四季おりおりに美しく咲き人を魅了します。しかし、誰かのために生きているというわけではありません。
花が咲くというのは自然なことで、自身の生命をせいいっぱい生きてやがてその生涯を終えます。誰かのために生きなくても、その生涯はかならず誰かの役に立つ。そんな生き方だからこそ、わたしたちは感動します。
自分のために生きて行きましょう。恋人や友人や家族、会社の人たちを喜ばせたい、という思いもあるでしょうが、それはその人たちのためではなく、あなた自身のためであり結果的にはそれがまわりまわって、他の人たちにもつながって行くということです。
恋人や友人のために努力する、家族や会社のためにはたらく、そこに「見返り」をもとめてはいけません。あなたが心からそうしたいと行動するからこそ、誰かのためになるのです。
あ、そうそう。
前述の友人は、会社をやめる決断をしました。いまは、幸せそうです。自分のために生きてくれて、わたしもよろこんでいます。
あなたも、あなたのために生きてください(^^)
まとめ
いきなりネガティブなお話しになってしまいますが、
「人は誰のために生きているのだろうか」
という思考は、自分の人生の責任と主導権を放棄した思考です。これはよくないですね(泣)
自分で自分の人生をつくりだしているという感覚を失くしたこのような考え方をしていると、次第に無力感ばかりが大きくなり被害者意識に支配された人生を送ることになります。
自分の人生は自分がつくっていると実感するためには、
「人はなんのために生きているのか?」
と問いかけるかわりに
「私はなんのために生きるのか?」
と自分にたずねてください。
なんのために生きる人生にするのかは、あなた自身がきめるのです。あなたが生きている理由を他者にゆだねてはいけないのです。
あなたの人生は、あなたがきめると覚悟したら、本来のパワーがとりもどせます。「希望」がとりもどせます。
そして、美しく生きるよろこびを感じとってください。きっとですよ(^^)長い「ひとりごと」におつきあいいただき、ありがとうございましたm(__)m